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2017年10月24日

2年 学区探検

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 2年生が西光寺と奥殿神社へ学区探検に出かけました。西光寺ではお寺の方に質問をして、西光寺の歴史やお寺のお仕事などについて教えていただきました。お寺の方のお話を聞いて、真剣な表情でメモを取っていました。またひとつ、自分たちの住む奥殿について知ることができましたね。今日、西光寺や奥殿神社について知ったことを、おうちの人に教えてあげることができるといいですね。

2017年6月29日

かすみ川って・・・きれいなの?

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各学年,おくとの調べ学習が進んでします。
 5年生では,学区を流れる霞川の環境を調べています。市役所の方を講師でお招きし,水生生物をとって観察したり,自分で設定したテーマにそって,しかけを作って魚をとったり水質検査をしたり・・・。
 さて,霞川は「きれい」な川なのでしょうか。この結果は,来週からの保護者会で掲示されます。お楽しみに。

2015年11月15日

村積山の冬イチゴと大下のリンドウ(奥殿学区探訪)

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 午後、天気が回復したので、村積山に登ってみました。村積神社を参拝し、毒石を見て展望台に上ると、名古屋駅の高層ビル群と伊吹山がきれいに見えました。登ったかいがありました。

 下るとき、写真左の冬イチゴを見つけました。早速、つまんで食べてみました。酸っぱく懐かしい味がしました。

 次に行った大下の弘法さんでは、八十八か所をめぐる山道に、写真左のリンドウが咲いていました。山に咲く野生のリンドウです。思わぬものを2つも見つけうれしくなりました。

2015年11月 5日

JRC活動(学区清掃奉仕活動)を行いました(全校)

奥殿小では、JRC(青少年赤十字)の精神にもとづき、学区の清掃奉仕活動を年に2回行っています。5日(木)は後期の活動です。

 代表委員によるはじめの会の後、学年ごとに学区の文化財や公共施設に出向いて清掃活動をしました。どの子も真剣に掃除や草取りをしました。清掃した場所がきれいになってうれしそうでした。学校に戻ると、奥殿陣屋御廟所保存会の会長さんが子供たちに果物のプレゼントをしてくださり、また、大喜びでした。

 毎年続けている活動です。継続していくことで、地域のものを大切にする気持ちを高め、奥殿の歴史のすばらしさに気付くことを願います。

 1年    加藤家墓所   奥殿小開校の功労者の墓があります。
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 2年3年 学区市民ホーム・こどもの家 
JRC2年2.jpgJRC2年1.jpgJRC3年2.jpgJRC3年1.jpg 
 4年    旧林宮寺跡墓所  奥殿松平家8代当主の墓などがあります。 
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 5年    熊野神社   
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 6年    奥殿陣屋御廟所  奥殿松平家・奥殿藩歴代藩主の墓があります。
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2015年11月 3日

浄帰姫と円月姫の墓(奥殿学区探訪)

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 下奥殿にある、旧林宮寺跡に今も残る墓所には奥殿松平家第8代松平乗尹(のりただ)の墓があります。その前に、写真左の墓が並んでいます。左が浄帰姫、右が円月姫、真中が浄帰姫の子供の墓です。

 浄帰姫は松平乗尹の側室です。江戸の生まれでしたが、乗尹が引退して奥殿に移り住むとき、いっしょに付いてきました。乗尹によく尽くしていましたが、5年ほどして23歳の若さで病気により亡くなりました。悲しんだ乗尹が建てたのが、写真右の石碑です。これは、上奥殿の西光寺にありましたが、平成になってから旧林宮寺跡の墓所に移されました。

 円月姫は浄帰姫の死後、乗尹の側室になります。円月姫と乗尹との間に生まれた男の子が、永井尚志(なおゆき)です。永井尚志は、幕末の激動の中、幕府の重臣として活躍します。長崎海軍伝習所をつくり勝海舟や坂本竜馬を育て日本の海軍の先駆者となります。その後、15代将軍慶喜に側近としてつかえ、大政奉還の奉還文を書きました。

2015年10月31日

奥殿小にある加藤翁の碑(奥殿学区探訪)

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 奥殿小こだまの森には、写真左の石碑があります。この石碑は、奥殿藩最後の大庄屋、加藤善八郎の業績を記したものです。

 題字は、日本赤十字社の創立者の一人で奥殿藩最後の藩主、大給恒(松平乗謨)が書き、碑文は、岡崎出身の世界的地理学者、志賀重昂が書いています。今から100年以上前、明治の終わりころに建てられました。

 加藤善八郎は、奥殿周辺4000石を束ねる大庄屋でした。今から143年前の明治5年(1872年)、学制発布がなされ学校を作ることになると、私財を投じ、下奥殿で廃寺となっていた林宮寺を買い取り、ここに奥殿義校を開きます。これが奥殿小学校の始まりです。

 明治30年(1901年)に学校は現在に場所に移転します。このときも、加藤善八郎が校地、校舎ともに寄付しました。こうした功績を称え、石碑が建てられました。

 写真右は、学校の東側の山中にある加藤家の墓です。学校を見守る場所にあります。

2015年10月18日

岩津発電所(奥殿学区探訪)

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 川向町から豊田市側に入り郡界川をさかのぼると、二畳ヶ滝の手前に岩津発電所があります。発電所は、橋を越え川の対岸にありますから、岡崎市日影町になります。

 この岩津発電所は、中部電力管内で一番古い発電所です。今から118年前の明治30年(1898年)に発電を始めました。大正時代の終わりに一度落雷により火事になりますが、すぐに再建され現在に至っています。

 最大出力140キロワット、一般家庭300世帯分ほどの小さな発電所ですが、この発電所が岡崎に初めて電灯を灯しました。

2015年10月12日

岩松保育園跡地(奥殿学区探訪)

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  宮石町の宮石八幡宮の境内に、写真左の石碑があります。昭和28年(1953年)から昭和61年(1986年3月)まで、この地に岩松保育園がありました。新香山中学校ができたとき、香山中学校の跡地(奥殿小学校西)へ移転しました。

 岩松保育園創立50周年記念誌によると、戦後ガラ紡が盛んであったこの地域で、安心して働くために子供を預かる施設を、との地域の強い要望により、ここに保育園がつくられたのだそうです。

 昭和28年当時は、奥殿は岩津町でした。(昭和30年に岡崎市と合併します。)岩津町と隣接する松平村が協力して開園したので、両方の字をとって岩松保育園と名づけられたとのことです。

 写真右は宮石町公民館です。これは、岩松保育園の園舎を改装したものだそうです。

2015年10月11日

渡通津の八幡宮(奥殿学区探訪)

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  渡通津町の氏神様、八幡宮に行ってみました。坂道を上ると、写真左の本殿が西側を向いて建てられています。

  「大給の里」(昭和52年奥殿学区社会教育委員会発行)の記述によると、創立年代は不定ですが、江戸時代の1685年に再興された古いお宮のようです。

 本殿からさらに山の上のほうへ登る階段があったので、奥の院があるのかと思い、行きたかったのですが、時間がなくてあきらめました。後で、地元の方に聞くとやはり奥の院があるようです。次回、訪れるときは登ってみたいと思います。

 一つ不思議だったのは、写真右側の鳥居です。写真のように崖の前に建っていて、くぐって本殿に行くことができません。でも、来週のお祭りに備えて、しめ縄が新しくなっていました。

2015年10月10日

コスモスがきれいに咲いてます(奥殿学区花だより)

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  学区内上奥殿の西光寺前、霞川土手にはコスモスがたくさん咲いていて、とてもきれいです。地元の方が種をまいてくださるのだそうです。

 奥殿陣屋のコスモスもきれいですが、川や田、住宅などの周囲の景色の中で咲く上奥殿のコスモスもすてきです。

2015年10月 7日

木のおもちゃで遊んだよ(2年)

2年木のおもちゃ5JPG.jpg2年木のおもちゃ4.jpg2年木のおもちゃ6JPG.jpg2年木のおもちゃ2.jpg2年木のおもちゃ1.jpg 2年生が、木のおもちゃ遊びを体験しました。この木のおもちゃは、宮石町在住の磯谷栄一さんが作ったものです。昔の木製玩具を再現したもので、その中の一つ「剣撃人形」は、江戸浅草の浅草寺門前で売られていたものを再現したそうです。

 2年生の子供たちは、めずらしいおもちゃに興味津々でした。それぞれ手に取って遊び、おもちゃを囲んでたくさんの笑顔が見られました。磯谷さんのおかげで貴重な体験ができました。

 木のおもちゃは、奥殿小の子供たちが体験した後、学芸会と同時に行われる作品展に出品されます。もちろん、手に取って使えるようにして展示します。ぜひ、見て触ってみてください。

2015年9月26日

学校坂にある石仏(奥殿学区探訪)

学校坂お地蔵様.jpg 学校の南門から奥殿陣屋方面に下る学校坂の途中に、写真のお地蔵様がひっそりと立っており、素朴なお姿に味わいがあります。
 
 昭和52年に発行された「大給の里」(奥殿学区社会教育委員会)に絵が載っていたので、ぜひ見たいと思っていました。学校坂のどこかにあるはずだと通勤途中に車の中から探したのですが、なかなか見つからず、子供たちと一緒に歩いているときに見つけました。やはり、足を使わないとだめですね。

 「大給の里」によると、地元の石屋さんが修行中に作ったものを立てたとのことです。

  

2015年9月20日

家族学級、夏休み作品展、学区敬老会を行いました

敬老会太鼓.jpg敬老会音楽部.jpg敬老会全校合唱.jpg家族学級2.jpg家族学級1.jpg 20日(日)家族学級と夏休み作品展を行いました。祖父母も含め、家族の方に来校していただき、子供たちと一緒に活動をしました。万華鏡や消しゴムはんこなど、学年それぞれのものを家族の方に手伝ってもらいながらつくりました。普段とは違う触れ合いができたようです。

 また、体育館では、学区敬老会が行われました。今年、敬老会の対象となる75歳以上のお年寄りは、奥殿学区では250人です。子供たちは敬老会で全校合唱をしたり、音楽部が演奏をしたりしました。地域の方に教えてもらった和太鼓を披露した子もいます。子供たちの元気が伝わり、みなさんが元気にすごしていただければ幸いです。

2015年9月12日

龍渓院参道にある石碑・石仏(奥殿学区探訪)

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 桑原町にある龍渓院は、室町時代1444年開山の曹洞宗の古刹です。

 新香山中学校へ登っていく道を参道へ左折したすぐの右側に、写真左の道標、石塔があります。手前が道標で「従是龍渓院道」と書かれています。奥の石塔は「金光明圣塔」で、江戸時代中期、曹洞宗の名僧が若狭小浜から龍渓谷院に入山したのを記念して建てられました。
 
 道標から少し進むと道の左側に、写真右の「妙見菩薩像」があります。国土を守り、貧窮を救い、多くの願いをかなえる菩薩だそうです。「妙見さん」として親しまれています。

 道路が整備され、龍渓院へ向かう参道も昔とは違っています。道標や石塔、石仏も場所を変えているのかもしれませんが、変わらず人々を見守っています。

2015年9月 5日

奥殿歴代藩主慰霊法要(奥殿学区探訪)

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 奥殿陣屋の一番奥、南側の山道を少し登っていくと、奥殿藩歴代藩主のお墓がある御廟所があります。奥殿松平家の家祖となった初代真次から10代乗利まで、歴代の藩主の墓が並んでいます。ただし、8代乗尹と最後の藩主11代乗謨(後の大給恒)の墓はありません。
 8代乗尹は引退後、奥殿に住んでいた藩主で、墓は奥殿陣屋北西にあった林宮寺の跡地にあります。林宮寺は明治維新後廃寺になってしましましたが、墓所は跡地に残っています。
 最後の藩主11代乗謨(後の大給恒)は、幕末に藩の本拠地を奥殿から信州佐久の野田口に移します。奥殿藩は、奥殿を中心にした四千石と佐久の一万二千石と両方合わせて一万六千石だったのです。本拠地を移したため、奥殿藩は野田口藩となり、最後は竜岡藩と名前を変え明治維新を迎えます。
 明治維新後は陣屋も廃止となり、御廟所も放置されていたようですが、今から30年ほど前の昭和60年、桑原町の龍渓院の庫裏となっていた奥殿陣屋の書院を移築して、奥殿陣屋の復元が始まりました。その際、地元の方々が保存会をつくり、荒れていた御廟所を整備したのです。
 現在では、御廟所保存会や学区の長寿クラブが交代で清掃活動などを行っており、常に整備された状態で観光客にも親しまれています。奥殿小学校の子供たちも、JRC(青少年赤十字)の奉仕活動として、年に2回御廟所の清掃をしています。
 毎年9月には、御廟所保存会、学区社会教育委員会、学区総代会により歴代藩主慰霊法要が行われています。地域の多くの方々の力により奥殿の貴重な文化財が守られているのです。

2015年6月30日

紡績工場を見学しました(4年生)

4年深津紡績1.jpg4年深津紡績2.jpg4年深津紡績3.jpg4年深津紡績4.jpg
 4年生が宮石町の深津紡績さんの工場を見学しました。先日の鶴見紡績さんに続いて2回目です。深津紡績さんでは、羊毛を原料として糸を生産しています。子供たちは原料の羊毛を触らせてもらい大喜びでした。ミュール紡績機がいっぺんに540もの糸を作り上げていく様子には、子供たちも興味津々でした。紡績工場の見学も2回目となり、子供の目の付け所や質問が少し変わってきた気がします。

2015年6月29日

奥殿藩藩主廟所(奥殿学区探訪)

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 奥殿陣屋の裏、南側の坂道を少し登ると、岡崎市指定の史跡「奥殿藩主廟所」があります。静かな山間に、奥殿松平家の歴代奥殿藩藩主の墓が並んでいます。
 奥殿松平家は、徳川家康の先祖、松平家の一族、大給松平家から分かれた家系です。家祖は初代真次。大阪の陣に参戦し加増されるとき、先祖の地を希望し、大給(豊田市)や奥殿を含む一帯7千石を領地とする旗本となりました。2代乗次が1万6千石に加増され大名となりましたが、陣屋が大給にあったので、まだ大給藩でした。4代乗真が大給から奥殿に陣屋を移し、名実ともに奥殿藩になります。以来、幕末に11代乗謨(のちの大給恒)が田野口(長野県佐久市)に城をつくり本拠地を移すまで、奥殿陣屋が奥殿藩の中心でした。
 奥殿藩主廟所には、初代真次から10代乗利までの墓が並んでいます。ただし、8代乗伊の墓は、近くの林宮寺跡の墓所にありましす。また、11代乗謨(のちの大給恒)の墓は東京にあります。

2015年6月28日

奥殿学区子供会球技大会が行われました

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28日(日)奥殿学区子供会球技大会が行われました。運動場と運動広場に子供たちの元気な声が響きました。子供たちが元気に活躍できるのは、子供会役員さんはじめ、多くの方々のおかげです。ありがとうございました。

2015年6月24日

学区のお寺に行きました 6年

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 6年生が総合学習で、学区内にあるお寺に出かけ、住職さんのお話を聞いてきました。出かけたのは、龍渓院(桑原町)、華蔵院(桂野町)、西光寺(奥殿町)、光専寺(宮石町)です。お寺の歴史や仏像のことなど、知らないことをたくさん教えていただきました。華蔵院では、450年前に創建されたことや寺にある仏像について教えていただき、抱き地蔵や鐘つきを体験させていただきました。
 自分たちが住む地域のお寺について知ることで、さらにこの奥殿が好きになってくれることを願います。

2015年6月23日

紡績工場を見学しました(4年)

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 4年生が、桑原町にある鶴見紡績さんの工場を見学に行きました。この工場は、特紡で綿の糸に化学繊維を混ぜた糸を生産しています。原料の糸によりを入れて細い糸にしていく機械を真近に見て、子供たちは興味津々でした。熱心に見学して、たくさん質問をしていました。
 ガラ紡の時代から紡績が盛んであった奥殿学区ですが、現在は鶴見さんのところを含めて紡績工場は2つになってしまっているそうです。
 子供たちにとって、実物を見られる、実際に話が聞けることは、大変勉強になり貴重な経験です。歩いていける学区内にその場所があることは、とてもありがたいことです。子供のためにと見学の機会をつくってくださりありがとうございました。

2015年6月21日

桑原公民館前の石仏(奥殿学区探訪)

正観寺地蔵.jpg 桑原町公民館前に写真の阿弥陀仏が立っています。昭和52年(1977年)、奥殿学区社会教育委員会により発行された「大給の里」によると、この仏像は今から167年前、江戸時代の終わりころの弘化5年(1848年)に、桑原町の瓦屋さんがまつったものだそうです。善光寺街道沿いにありましたが、90年ほど前に正観寺脇に移されました。
 正観寺が無住になってから、地域の人たちにより公民館前に移されたようです。立つ場所は違っても、ずっと子供たちや地域の人々を見守り続けています。

2015年6月11日

がんばった JRC活動 

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今年度、1回目のJRC活動が昨日行われました。梅雨の晴れ間。
とても、よい天気の中で行うことができました。
 はじめに、代表委員会より青少年赤十字や大給恒さんのクイズが出されました。次に、青少年赤十字のちかいを唱和し、意識を高めました。
 その後、加藤家墓所、熊野神社、市民ホーム、子どもの家、林宮寺墓所への階段、陣屋と分かれ、いつもお世話になっている場所をきれいにしました。
 汗をかきながら草をとったり、落ち葉をあつめたりする姿が見られました。
自分のためではなく、誰かのために進んで活動する姿がたくさんあり、有意義な時間でした。

2015年6月 5日

林宮寺跡地入口に立つ海保忠典先生の石碑(奥殿学区探訪)

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 奥殿町の駐在所から少し西に行くと、道の右側に写真の石碑があります。この石碑の上が奥殿藩の菩提寺であった林宮寺のあったところです。この寺は、明治の初めに廃寺となっていました。
 この廃寺を奥殿の最後の大庄屋であった加藤善八郎氏が買い取り、143年前、明治5年(1872年)、学校を開校しました。これが奥殿義校であり、現在の奥殿小学校です。
 翌明治6年、初代校長として海保忠典先生が招かれ、香山(こうざん)学校と改称しました。香山とは林宮寺の山号です。初代校長海保先生は、幕末、奥殿陣屋で代官を務めた人でした。石碑は海保先生の業績を記したものです。

学区探検に行ったよ 3年生

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  ここで霞川が巴川に流れこむんだね。

 6月4日(木),3年生が学区探検に出かけました。土地が低いところ,高いところの様子を見てきました。霞川が巴川に流れこむところも見ました
 それから,クラスの友達の家によって,モンシロチョウの卵もとらせてもらいました。たくさん採れました。これから大切に育てます。お土産に,タマネギをいただきました。みんなおうちでおいしく食べたかな。