その2で紹介したように,西尾軽便鉄道の岡崎新駅から西尾駅までは8つの駅がありました。六ッ美地区には中島駅と停留所として占部駅が設けらました。
この写真の左側の畑付近に停留所があったそうです。中村町地内では線路跡は畑や空き地として残っています。西尾軽便鉄道には占部駅のほか久麻久駅(現在の西尾市民病院付近)と三和川駅が停留所として設られました。しかし,利用客がそれほど多くなかったようで,1915年(大正4)に廃止されたということです。
写真中央の畑が線路跡ということです。線路跡の畑を「電車畑」と呼ぶこともあるそうです。ここから南の線路跡は近年耕地整理が行われたため,現在ではほとんど確認することができなくなってしまいました。
「六ツ美南部小学校の教育-H6地域素材の教材化-」より
・西尾軽便鉄道の開業当時の機関車はイギリス製の4両,車輌は日本製の2輌連結 2等車(定員18名)計7輌,3等車(定員25,54名)
・「当時の地方鉄道では最新式で会社の自慢の汽車であった」
・郵便車14輌
・車輪は前後に8個,座席は両窓側にあり線路に平行していた
・車内照明は石油ランプ→アセチレンガス→蓄電池に改良
